福岡大濠公園
あらすじ(日本編)

冬虫夏草の人工栽培に成功して、普及をすべく、東京に帰り着いた。前人未到の地しか育たないといわれた冬虫夏草という貴重で希少な薬膳キノコが、日本の農家や倉庫の片隅で、カップの中から大量に発芽するというのである。そして20万株という大規模栽培にも成功し、マスコミで紹介されて、一気にブームを迎えようとしていた。その時、川浪の運命は、新たな局面を迎えていたのである。
この画期的な大発明を盗もうとする連中によって仕掛けられた罠にはまることに。大連に蓄えた資産を食いつぶし、事業の縮小を余儀なくされ、東京事務所を閉めて福岡に行く。親父に誓った、癌に打ち勝つ冬虫夏草を目指して更なる研究を進めた結果、癌細胞をアポトーシスする冬虫夏草が完成した。この技術に対して日本政府が特許権を交付、癌にリベンジする態勢が整った。そしてその時、もう一つの大きな歯車が、静かに確かに始動をしていたのである。

癌にリベンジが始まったThe revenge for cancer begins

ついに日本の土を踏んだ

冬虫夏草に群がった害虫たち

手塩にかけた冬虫夏草、20万菌床が神戸港に到着したのは04年3月30日である。無事、通関を経て、栽培地の高知県に届けられた。
冬虫夏草とは、薬膳の本場中国で生薬の頂点を極めていたキノコである。4000年の昔から不老長生の秘薬として皇帝に重用され、前人未到の秘境でしか見られないとされた貴重で希少な薬膳である。
このキノコが日本の栽培ハウスのカップの中から、数万という規模で発生するという。
川浪の全知全能を賭したこの事業を日本で展開する事業者は、大証東証1部上場企業のE社である。同社は、川浪が製造するキノコ全般の日本における貿易総代理と冬虫夏草の総発売元を担う子会社・N社を立ち上げて、全面協力を約束してくれた。
また冬虫夏草の栽培は、高知市のA社に発注するようN社に依頼した。
このA社は、中国きのこ村プロジェクトに4000万円を投資して650万パックにおよぶシイタケの輸入総代理権を取得していた会社である。例のセーフガードによって1円も回収できないでいたので、冬虫夏草の栽培で収益を上げてもらおうと、川浪がE社に取り計らったのである。
いよいよ日本で冬虫夏草の栽培が始まる、そして立派に育った冬虫夏草を日本人の多くが食べて元気になってくれるはず。夢にまで見たステージに、ようやく足を掛けることが出来た。

昂った心を抑えながら大連を発った川浪は、福岡空港を経由して夕刻には栽培地のある高知に入る予定だった。
福岡空港にたどり着いたとき、通関に進む長い通路の隅っこで、淡い紺色のジーンズを着た20歳前後の女の子が座り込んでいるのに出くわした。
「怎么了?」
「从青島来、什么都不知道」と、女の子はただ泣きじゃくっていた。
結局、通関と荷物検査場を案内してあげて「何かあったら、ここに連絡しなさい」と、名刺を手渡して、別れた。
わずか10分ほどの出会いだったが、それから半年くらい経った夕方、ちょうど日本に到着して成田空港から東京に迎う電車の中で、携帯電話に、知らない電話番号のショートメールが入って来た。開いてみると、短く「私は日本語が話せるようになりました!」とある。
誰だろう・・・
思い出すのに少々の時間がかかったが、あの福岡空港で出会った女の子以外は思い当たらない。
立て続けにメールが来た。
「日本語の訓練だから、メールしても良いですか?」
やはり、福岡通関に向かう長い通路で出会ったあの子に違いない。デニムのジャンバーを着て丸い眼鏡をかけて泣いていたあの子が、ちゃんと覚えててくれてたんだ。
「勿論いいよ、あなたの名前を教えて?」
「にじです、空に架かる虹です」
「ビックリした」
女の子から、すぐに返事が来た。
「何故ですか?」
川浪の公司は大連市黄河路の珠江国際大厦に入っていたが、手狭になったため、人民路の虹源大厦(ホンイェンターシャ)34階に移転していたのだ。富麗華大酒店(フラマーホテル大連)のならびに建つ白亜の高層ビル、大連市の目抜き通りでも、ひときわ華麗な輝きを放つ。
その外観の優美さもさることながら、虹の源(みなもと)というビルの名称も、とても気に入っていた。
34階の社長室、天井から床まで総ガラス張りの部屋で、東の空の向こうを眺めながら「近いうちに、ここから日本に大きな虹を架けて、健康を運んで行くんだ」と、心に決めていた。
その大連から虹を渡ってきた川浪が、日本に着くといきなり「虹です」というメールを受け取ったのだから、ビックリしたのである。
偶然だけど大歓迎である、それからメールで交流が始まった。
「今、起きた」から1日が始まって「昼ご飯は食べた?」そして「お休みなさい」まで、毎日事細かに連絡してきてくれた。中国に帰っているときも、ヤフーメールで同じように連絡が来る。
そんなやり取りがほぼ半年は続いただろうか、いつの間にか、女の子は川浪を「父ちゃん」と呼ぶようになって、川浪は「虹(ほん)ちゃん」と呼ぶようになっていた。
そして福岡空港から大連に飛び立つ際には、一緒に夕食を食べに行く親しい友、いや、馴れ親しんだ父と子になっていた。
ほんちゃんの大学入試が始まる。
「父ちゃんの仕事を手伝いたいから、農学部に入るね」と、九州大学を受験して、見事に合格してくれた。
虹源大厦から日本へと架かった「虹」の日本側の根っこには、ほんちゃんがいる。そう思えてきて、何か分からないが、心の奥がビリビリするような期待感が芽生えていた。そして「可愛いし優しいし賢い子だ、本当にこんな子供がいたら幸せだろうな」と、心から想うようになっていた。


日本総代理店の裏切り
川浪が日本に冬虫夏草を持ち込んで、丸2年がくる。高知南国市で行った実証試験も大成功して、新聞などで報道されるようになってきた。
ビジネスの拠点を東京においたので、福岡を訪れるのは年間で1度か2度。だから、ほんちゃんとの進展をどんなに願ってもどうにもなるものでもないし、このまま、メールで交信する「父と子なんだ」と認識するのがよかろうと考えていた。
そんな先行きが開けてゆく時に、日本総代理となったE社と窓口になってくれた子会社・N社に不審な動きが見えてきた。いつまでたっても冬虫夏草を納入した貿易残金4000万円を払わないのである。
総代理店はE社でも、通商契約はE社の子会社のN社なのだから、社長のO氏に問いただすものの「E社が払ってくれないので」と繰り返すのみである。
まさか、東証1部の上場会社が不払いなどするはずもないと鷹をくくっていたのだが、1年を過ぎるころには、川浪の公司の資金繰りにも影響が出てきた。
E社の言い分は「冬虫夏草の輸入代金の残高4000万円はN社に支払い済みです。N社がそれを他に流用したと思われる」と繰り返し、そして、N社がそれを否定するという繰り返しである。
他にも、N社のO社長は、とんでもないE社グループの裏事情を話してくれた。
「半年くらい前ですけど、同じ繊維業界のU社が、ハナビラタケという新種のキノコの全国販売権を取得したというニュースが駆け巡って株式市場が好転し、U社株がストップ高を付けた。これを知ったE社の筆頭株主のYさんが、冬虫夏草で2匹目のドジョウを狙った」というのである。
Y氏は、E社に命じて冬虫夏草の輸入権利と国内総販売権を取得させ、さらに「日本で初めて栽培が成功」との情報を全国紙M新聞に流してトップニュースにした。30円半ばだったE社株が高騰、あっという間に150円を突破。Y氏は手持ちのE社株全部を売り抜けて、巨額の利益を手にしたというのだ。
なるほどな・・・、だから収穫した冬虫夏草なんて、まるで興味を示さなかったんだ。後ろを振り返ることなく、まるでゴミでも捨てるかのように高知県の山奥に放置したままだ。
命を削ってまで開発した川浪の冬虫夏草が株価操作の道具にされた、もう許せない。
結局、致し方なく、訴訟を起こすことになる。
E社に決まっていた貿易総代理を解約し、N社に決めていた冬虫夏草の日本総販売はO社長の顔を立てて、裁判の決着がつくまで棚上げとした。
O氏は株取引のことなど興味を示さず、冬虫夏草の販売のみに固執していた。というより、N社を辞めて、自前の販売会社を設立しようとしていた。そして何かと、裁判に関係する有為な情報を提供してきたのである。
「いずれにしても」と、川浪は考えた。
これからは自力で、日本の隅々にまで冬虫夏草を普及させねばならない。そのために先ずは東京に営業拠点を置いて、それから地方へと広げることが常道だろう、と。
「この国から癌を無くすために、自らが東京に住んで全力を尽くして働こう」と、日本法人を立ち上げる決断をした。
普及には、それなりのスタッフが必要である。今まで川浪を支えてくれた仲間、それに、東京に幅広い人脈を持つ人間も必要になる。
N社を辞するというO氏を加えるのは如何だろうか。裁判の途中なのに、こちらからスカウトするのは妥当とも思えないような気がする。


夢を広げてくれたモルモン教
先行きに、もう一つの大きなビジョンを抱えていた。それは、一人のアメリカンがもたらしてくれた地球規模の責務である。
虹源大厦に訪れた男はロバート・オウエン。
冬虫夏草の開発に成功し、さらに、いろんなキノコ菌床を日本に輸出し始めて先行きが明るくなった頃、オウエンは「近いうちに、地球はプラスチック公害に潰されてしまう。消えてなくなるプラスチックをつくらねば、いずれ人類はプラスチックに埋もれて滅亡する」と、驚愕の未来を語るのである。
流ちょうに日本語を話し、言うことも正しいのだが、当時の川浪にとってはやや空想めいたところもあった。
しかしながら非常に真面目だし化学にも精通しているし、青い瞳を見開いて「カワナミさん、今の地球は赤くなっています。このままでは、子供や孫たちが生活できなくなります。どうか、力を併せて、地球をブルー・グローブに戻してみませんか?」と訴えるのである。
ブルー・グローブとは「青い地球」という意味だといい、アースは地球個体、グローブは地球表面だという。そしてソ連の宇宙飛行士・ガガーリン少佐が宇宙から地球を見た際に「地球は青かった」という貴重な体験を言葉にしたが、この時の地球を将来ともに持続させなければならない、というのである。
オウエンの狙いは「中国で膨大に収穫されるトウモロコシで、世界が救える」というプランにあった。
トウモロコシから採れるデンプンと、従来の石油系プラスチックを混ぜて高圧連続的に混錬すればデンプンがα(アルファ)化して植物プラスチックになる。これでフィルムや手提げ袋などの消耗品を作れば、廃棄された後に生分解(土壌の微生物が分解に作用)して消えてしまうというのである。
自然に消えてしまえば焼却処理もいらないから排気ガスを出すこともなく、地球には優しいと。
詳細は割愛するが、川浪は将来の構想として、オウエンに協力することにした。知り合いのプラスチック製造国営企業の劉総経理(社長)を紹介して、両者の合作(協業)を画策支援したのである。
オウエンは、敬虔なモルモン教徒だった。
世界の民のために自分の信じる道を説いて諭して、ともに命永らえようというキリストの教えを実践してゆくのだそうだ。そして中国と日本が中心になって、環境NGOを作ろうとしていた。
ノンガバメント・オーガニゼーションは、政府の認可なしで正々堂々と国際的環境保護活動ができる。近い将来、韓国か台湾かフィリピンを加えて正式に3か国が連携した民間の環境保護活動を立ち上げたいというのである。
川浪は充分に活動の重要性を理解し、興味を掻き立てられた。
中国では大連にNGO中国本部を置くことを提案。そして大連市でもっとも超高層ビルだった大連貿易中心大厦に、オフィスを構えたのである。名称は「NGO BLUE-GLOBE CHINA」とした。

ロバート・オウエンは、川浪の冬虫夏草の国際的普及にも大きな夢を与えてくれた。
「カワナミさん、私たちモルモン教集団は世界布教の経費を捻出するために、宣教師が自らネットワークビジネスを立ち上げています」というのである。
オーエンの活動拠点はアメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティで、キリスト新興宗教・モルモン教徒が開拓し建設した都市にある。
この宗教は世界布教を目指しているが、集めた信者からの寄付には頼らず、宣教者がビジネスで収益を出すことを基本にしている。
世界的に展開するニュースキンやアムエーなどもモルモン集団だそうで、オウエンのグループは10万人ほどのまだ小規模な組織だという。
これから日本を含めたアジアに布教を始める予定だそうで、彼がそのリーダーだった。
「日本でもネットワーク・ビジネスを始めてください。あなたのコルジセプス(冬虫夏草)を我々の普及アイテムに加えたいです」と、オウエンは熱っぽく語ってくれた。
オウエン傘下の会員1人が1ヶ月に30グラム消化してくれれば、10万人で毎月3トンほど必要となる。金額とすれば毎月1憶5000万円、年間で18憶円という巨大な消費が開けてくる。これに関連して日本でもネットワークを広めてゆけば、10万人以上の会員ができることは間違いない。
オウエンの真剣な眼差しに壮大な夢を映しながら、日本からアジアに広げるアクションの青写真が明確に見えていた。
オウエンとガッチリと握手をした川浪は大連に引き返し、中山区五一路のマンションを解約して大連駅前の九州大飯店に居を移した。そこで東京を拠点にするための準備を始めたのである。


東京に普及会社を設立しよう
試験栽培で、20万菌床から収穫した冬虫夏草は約5トンにのぼっていた。日本、いや世界でも類を見ない冬虫夏草の大規模栽培は、ほぼ予想の通り、大成功を収めたのである。
ちょうどその折、大阪を中心に多店舗展開するドラッグ・イレブンのT社長が冬虫夏草の販売に興味を持っていた。そして彼が配ったサンプルが製薬会社準大手の山之内製薬に手渡った。1ヶ月後に、癌患者に試食させたところ癌細胞が小さくなったことが確認された、という連絡が寄せられたのである。
すぐさま、T社長が動いた。
山之内製薬の取締役大阪支店長と販売子会社O社長を連れて大連に来て「是非とも、日本の販売権を弊社に」と表明してくれたのである。
大連での商談は3日間におよんだ。
山之内製薬とは「年に10トン購入する、以降は順次購入量を増やしてゆく」ということで基本合意し、近々にも、川浪が東京に行ってドラッグ・イレブンと三社契約を締結するという運びになった。
「冬虫夏草ってやっぱり凄いなあ。日本に持って入ってまだ2年なのに、日本普及の準備も進むし、加えて早くも5憶円という商談もまとまるのだから」と川浪は、驚きと喜びを隠せなかった。
さらに、商談をつないてくれたドラッグ・イレブンのT社長は「契約手付金5000万円を用意する。必要な時には、いつでもお支払する」と言ってくれた。
E社が発注したものが5トン、これは栽培地に置いたままだし、それに加える5トンだから、引き続いて20万菌床をA社に栽培させれば、山之内製薬の発注分が揃えられる。
契約手付金を受け取って、菌床をつくる費用として2000万円を大連に送金、栽培費として2000万円をA社に、法人立ち上げに係る準備金として1000万円ほどあれば、全てがうまく進んでくれる。
E社が支払ってくれてない4000万円も、栽培地に置いてある収穫物を取得して相殺すれば、もう裁判なんか続ける必要もない。
先行きに、何の不安も見えなかった。
「順風満帆」とは、このようなことを言うんだろうな。このチャンスを逃さず、さっそくに会社を立ち上げよう。
川浪の心は踊っていた。

大連に戻って数日後のことである、しばらく静まっていた運命の歯車が、突然と、巨大な音とともに動き始めた。
その日は05年3月20日、大連駅の真ん前にそびえる九州大飯店2階のレストランで朝食をとっていたときだった。
観光に来ていたグループから「何だと!」という絶叫にも似たざわめきが起きた。
「福岡が大地震だとよ!」
「天神の福岡ビルが崩れよる」
弾かれるように、川浪は携帯電話をつかんだ。その相手は勿論、ほんちゃんである。
・・・何度かけても繋がらない。
台湾大地震の生々しい記憶が、鮮明に蘇る。
一瞬にして2400人が落命し、6年間のビジネスと夢を木端微塵に打ち砕いた忌まわしき記憶である。
そうだ、あの時も大連にいたんだ。
定宿としていた博覧大酒店で眠れぬ夜を過ごしていた時、激しい胸騒ぎに不安な思いをつのらせた。その直後に、台湾では未曽有の大地震がおきた。
そしてまたも、まだ昼間だというのに激しい胸騒ぎがしている。福岡大震災、もしや、ほんちゃんの身に何かあったのだろうか・・・
心配だった、そして神を恨んだ。
「冬虫夏草をこんなに必死に普及しているのに、何で俺の幸せを奪おうとするのか。またもや大地震を引き起こして、日本に膨らみ始めた夢までぶち壊そうなんて。何か恨みでもあるのか」
心配と不安と神への猛烈な怒りが交錯した夜が明けて、ほんちゃんと連絡がとれたのは朝10時を少し回った時だった。
「父ちゃん、アパートが壊れた。玄関のドアが閉まらないし鍵がかからないよ。水道が出ないから風呂もトイレも出来ない。苦しいよ、怖いよ」と異国の地の災難に怯え、泣きじゃくった。
「分かった、直ぐに福岡に飛ぶから」
タクシーに飛び乗って大連空港に急ぎ、11時40分発の福岡行きに滑り込んだ。
・・・福岡に着くなり、迎えに来てくれたほんちゃんに怪我がないことを確認。
「よかった・・・」
「取り敢えずホテルを2室用意するよ、立地の好いマンションを見つけるまでホテルで暮らそう」
大学に通いやすい場所にマンションを見つけ、安心して暮らせるようにしてあげよう。我が子のように大切な子だから。
「父ちゃんと一緒なら、何処に住んでも構わないよ」
死ぬほど不安な一夜を過ごしたのだろう、沈んでいた面持ちがようやく安心したかのように、晴れやかな表情に変わっていた。
ほんちゃんの言葉に、心が大きく揺らいだ。
福岡に住みたい、そして福岡でビジネスできたら本当の幸せがあるかもしれないな、と。
しかしながら、川浪の活動の場は東京だった。
2年もかけて準備したのだから、今になって福岡に拠点を変更するなんて無理に決まっている。

JR品川駅で降りて、脚光を浴びる江南エリアの一角に活動拠点を置くことを決めた。
当地は三菱重工など有名一流企業のビルが立ち並んでいて、品川駅からはペデストリアン・デッキで繋がる、傘が無くても行けるオフィス街である。
すぐさま法人登記に入る。社名は、ロバート・オウエンが進める環境保護活動にちなんで株式会社ブルーグローブとした。
法人に参加させるスタッフも固まった。
埼玉県で川浪を支援してくれたM氏と福岡市のTさん、そして高知で冬虫夏草の栽培を担当するA社のK社長。これに加えて、日本総代理をしてたE社を辞するO氏と、O氏の元上司だったというK氏、そしてK氏の友人で会計事務所をしているというT氏。
出資金は、川浪が筆頭株主で700万円、他のものは50万円ずつを持ち寄って株式会社を設立。
事業の内容はオウエンのアドバイス通りに、冬虫夏草サプリメントのネットワーク・ビジネスと日本の森林に「クヌギを植える」という環境保護活動とした。
さらに、発足早々から取り扱えるよう冬虫夏草の商品を2万箱を発注して、いよいよ全国普及を開始しようとしていた。
着々と準備を進めていた、ちょうどその時である。ドラッグイレブンのT社長から連絡が入った。
「法人設立おめでとう、O氏は取締役になっているんでしょうね。彼に例の契約前渡金5000万円を渡しましたから、よろしくお願いします」というのである。
T社長を紹介したのはO氏であり、そのO氏が契約前渡金を受けとっても、不思議ではない。
確かめるために、川浪はO氏に電話を入れた。
「確かに受け取りました。でも、これは私の事業資金としてです。担保として、あのE社の置き忘れた冬虫夏草2トンを差し出す約束をしました」
話しがややこしくなってきた。
O氏は「E社にやられたのは私も同じ。だからN社の社長として、あの冬虫夏草を押収しました。このことはE社も承知している」と主張。
さらに、N社を辞したというのは方便であって、実際には今でもE社と協議続行しており、解決するまでは辞めることができないのだ、と。
O氏は続けて「川浪さんへの貿易代金不払いの件は、E社ならびにN社と裁判で決着をつけるべきです」というのである。
たしかにその通りかもしれない。
川浪の頭の中で積み上げていた万全の計画が、ばらばらと崩れ落ちてゆくような感じがしていた。
予想外のことが続いた。
E社N社を相手に争っていた、貿易代金請求訴訟の判決が出たのである。
貿易通商契約の当事者であるN社が敗訴し「N社は川浪に対し貿易代金全額を支払え」という判決内容だが、E社には、これに対する支払い義務および連帯保証義務はないという判決である。
よく考えてみるとE社の計画通りなのだろう。
筆頭株主Y氏による株価操作の片棒を担がされたE社は、ダミー会社N社を設立して負債を背負わせ、トカゲのシッポ切りで責任の履行を逃れた。O氏も川浪も、最初から騙される役柄だったのかもしれない。
ただただ悔しかった。
命を懸けて開発した冬虫夏草が、多くの株主を騙す道具として利用されたのだから。
続けざまにやってくる不測の事態、それは、今までの人生で初めてのことであった。

冬虫夏草を日本に持ち込んで、早くも3年目の春が来た。
山之内製薬に冬虫夏草10トンを供給するために残り20万個の菌床を製造して、3月末に高知県の栽培地に送り込んでいた。
これから栽培すれば6月末には5トンの収穫を終えて、ドラッグイレブンに納品できる。T社長が担保として取っている2トンと栽培地に置いてある3トンを合わせれば、大連で交わした約束は履行できる。
栽培を担当するA社のK社長とは中国きのこ村プロジェクト以来の長い付き合いだし、株式会社ブルーグローブでともに日本普及を目指す同志的な関係でもあった。
だから、劇的に豪雨が降って南国市の栽培地が流されない限りは、栽培が失敗することなど有るはずもない。
紆余曲折があるけれど、川浪の日本普及にかける意気込みには一点の曇りも見えなかった。


大地震がもたらしてくれた幸運
ほんちゃんのためのマンションは、地下鉄天神駅から5分ほどのところに決めた。
福岡市で一番の商業地域にあって道沿いにブティックやレストランなど様々なショップが並び、広い歩道は、ショッピング客やビジネスマンで溢れていた。
ここなら大学からの帰宅途中に賊に襲われる不安もないし、歩道も広いから、自動車や自転車の事故にあう心配もない。
転居については、ほんちゃんのお母さんが運勢を計算して、幸せになる転居日は4月26日しかないと断言してくれた。その日は奇しくも、川浪の父親の命日である。
偶然というか、何かしら川浪一族とは無縁の子ではないような、そんな想いすら感じていた。
転居すると、すぐに生活ができるようにしてあげたい。
家具を買いそろえたりパソコンが使えるようにしたり、いろんな生活用品も二人で買いそろえるという、まるで新婚生活のような充実した日々が過ぎていた。
ゴールデンウイークが過ぎると、東京で、株式会社ブルーグローブの組織づくりが始まって忙しくなるだろう。だから、福岡に戻れて、ほんちゃんと夕食を食べるのは月に1度ほどになるのだろう。それでも幸せだと思った。

転居の日が来た。1ヶ月あまり暮らしたホテルをチェックアウトして、二人で歩いても10分ほどの距離にあるマンションに向かう。そして家具が並んで、飾りつけをした部屋に入った。
今日から、ここで二人の生活が始まるんだ。
ごく自然に想いが1つに重なって、何の抵抗もなく、ほんちゃんと川浪は一つ屋根の下で暮らすようになった。
川浪は、大学1年生の妻をめとって楽しい暮らしを送ることとなる。
大地震でぶっ壊された台湾の夢、そして、大地震で手にした素晴らしい新生活。
これも神のなせることなのか、はたまた、強烈すぎる川浪の運命と噛み合うもう一つの歯車が出現したことによる転機なのかもしれない。
冬虫夏草から離れれば地獄、冬虫夏草とともに進めば極楽という道筋がより鮮明になってきたようだった。

私欲に汚された冬虫夏草Cordyceps tainted byselfish desires

冬虫夏草に群がるハイエナ

私欲に汚された冬虫夏草

株式会社ブルーグローブの組織は、代表取締役に東京在住でO氏の先輩というK氏が就任、そして川浪は取締役会長という、どちらかというと一歩退いた立場に就いた。
これは、東京を営業拠点としたい思いから、川浪自身が考えた布陣である。
もちろん株式の大部分を持っており、冬虫夏草の開発者である川浪が絶対的なオーナーであることに変わりがなかった。
会社設立から6ヶ月をへて、ネットワークビジネスの基本商材となるサプリメント「蟻の冬虫夏草」が出来あがり、それを各地区に割り当てた幹部に送付する作業を始めたのである。
と同時に、ロバート・オウエンが送ってきたビジネス書類を日本語訳して、日本向きの営業システムに作り替える作業も進んでいた。
あと少しだ、もう少しで日本普及が始まる、戦いの前のように心が高鳴っていた。ゴールデンウイークが終わった6月からでも縁故会員を募って、9月をめどにネットワークのスタートを切ろう。その頃には製薬会社に納入する10トンの冬虫夏草も栽培し終わってるから、株式会社ブルーグローブには4~5憶円の売上げ収入が転がり込んでくるはず。
これを原資にして、マスコミにも声をかけたり大々的なイベントを打ち、華やかなオープニング・セレモニーをするができる。それによって、冬虫夏草の知名度が一気にアップすることは間違いない。
「中国の秘境にしか存在しないといわれた冬虫夏草の栽培が日本で成功」とか「本日より日本販売を開始!」とか、声を高らかに普及開始を宣言すればよい。
ところがである、一心不乱にネットワーク・ビジネスを絡めた具体的な販売スケジュールを作成し、実行に向けて組織を動かそうとしたのだが、どうも理想とはかけ離れた状態なのである。
社長に指名したK氏は赤坂のクラブに入り浸って、いつまで経っても気力が入らない。O氏に至ってはドラッグイレブンから5000万円を着服して以来、連絡しても事務所には来ない。東京在住の幹部たちは、みんな心ここに非ずで、今から日本へ、そしてアジアへと飛躍するんだという高揚感など、まるで無縁なのである。
そして川浪も、福岡での新生活のことで頭がいっぱいだったのか、沸々と湧き上がっていた不穏な動きに気づいていなかった。

役員たちの反逆に気づいたのは、大連から福岡に帰った時のことである。福岡市には、台湾に渡ったころからの古い友人・T氏がいた。
それ以来、何かと協力してくれてて、福岡にいるときには一度は必ず杯を交わす深い関係にあった。
会社設立でも、取締役になってもらって組織のチェックを依頼していたが、そのT氏から「川浪ちゃんが会社の金を使い込んだといって、罷免動議が出されてるぞ」との緊急連絡が入ってきた。
T氏は「大連出張の折に、緊急役員会をやるということで行ってきた。取締役で税理士のT氏が半期の決算報告をして、川浪会長が資本金の殆どを着服していると。全取締役が一致して罷免に同意してほしいと言っていた」と言うのである。聞いた瞬間、はめられたと思った。
これはクーデターではないか。
確かに、1000万円の資本金のうち、600万円近い金額は会計から回収していた。その内訳は、事務所の敷金及び前家賃、それに事務机やパソコンなど事務用品や備品の類、そして冬虫夏草サプリメント10000箱製造の前渡金などであって、法人設立前に必要だった前払い費用を川浪が立て替えてた分である。これについては、東京在住のO氏や社長にする予定のK氏の要請で行ったことであって、内緒に進めたのではなかった。
この金額は、資本金が会社口座に移行された段階ですぐに、社長Kによって、会社口座から川浪口座に振り替えられていた。
でもこれは正当な行為であり、資金繰りから見ても近いうちに冬虫夏草サプリメントの縁故会員からの払い込みも始まり、それに加えて、冬虫夏草収穫物を製薬会社に納入して数億円という売上げが上がる。このこともO氏やK氏はよく知っていたはずだ。
それなのに、誰が何のために罷免動議を・・・
結局、罷免に賛成したのはO取締役、K代表取締役、T取締役会計士、そして残念ながら埼玉の古い友人だったM取締役の4人で、その持ち株数は合計しても20%に過ぎず、いわゆるクーデターは失敗したのである。
それにしても・・・
何故に、K氏やO氏は負ける喧嘩をあえて選んだのだろうか。
持ち株数では川浪が70%を所有していることから、議決権は圧倒的である。そのうえに、川浪と争っては、冬虫夏草の1片といえども手に入らない。それをよく承知しているO氏が、このクーデターを主導していたのだ。
その時点では、さらにその奥底にひそんでいた大きな謀略の全貌が見通せなかったのである。

クーデターの第2幕が始まった。
T氏と会ったその直後に、ドラッグイレブンのT社長より緊急連絡が入った。
「高知で栽培しているA社が、製薬会社研究開発部に冬虫夏草を売りに来た」と、慌てていた。
10トンの冬虫夏草を栽培して、これをトン当たり2万円で売却したいと。品質についてはすでに研究開発部で検査済みである、というのである。
川浪は、すぐにA社のK社長に連絡したが電話はつながらない、何度かけてもつながらない。
そんな馬鹿なことがあるはずもない。K社長は中国きのこ村プロジェクトで4000万円の出資をしたがセーフガードによる貿易問題でシイタケを受け取ることが出来ず、大損をしている。その損失を、川浪と一緒になって冬虫夏草の栽培で儲けて、埋めてゆこうとしているのに、いったい何を考えているのか。
その上に株式会社ブルーグローブの役員に取り立てられて、これから日本そしてアジアに向けたネットワークが始まろうとしている。これを実現させれば、栽培も一手に引き受けることが出来て膨大な儲けにつながるのに、それを棒に振るというのか。
最悪なのは、キロ当たり2万円という価格である。川浪がキロ当たり5万円、10トンで5億円で話を決めていたのに、その半分以下という売値を研究開発部に提示しているという、この価格差について製薬会社も対応に苦慮しているという。
心血そそいで完成させた冬虫夏草、それが、わずか2万円という通り相場になると、普通のシイタケやシメジのように儲からないビジネスになってしまう。儲けが出ないと売るものも力が入らないから、目標とする日本の津々浦々まで販売するパワーが失せてしまう。何としてでもこのビジネス、A社の思い通りにさせてはならない。
すぐさま東京に戻り、警視庁に伺う。
「弊社役員が商品5億円を弊社の販売先に直接、持ち込もうとしている」
応対してくれた警部は「窃盗ではなくヨコ(横領)ですな。実行したら直ちに動きましょう」と、キッパリと犯罪だと断定してくれた。
「警視庁に被害相談に行った。A社が冬虫夏草を製薬会社に持って行くと横領で警視庁が動きます。製薬会社にはくれぐれも相手にしないように伝えてください」と、ドラッグイレブンのT社長に連絡。
悲しかった、情けなかった。
長年にわたって、全力で誠心誠意の付き合いをしてきた、いわば同朋ともいえる男を訴えねばならない。
そうしないと、冬虫夏草を普及させる主導権もなくなるし販売価格も地に落ちる。
「汚れた冬虫夏草だね、このビジネスはいったん飛ばしましょう」
製薬会社に絶大な信用を誇るT社長は、その方が次に繋がるという判断をして、合意寸前だった三社契約の破棄を申し出ることになった。

クーデターの全貌が見えてきた。その発端はO氏の方向返還である。
冬虫夏草を独占して独自の路線に進もうとする川浪より、冬虫夏草の在庫を抱えているA社を選択したというのである。A社と組む方が早くゼニになると読んだO氏は、先ずは元先輩であるブルーグローブK社長を泣き落として取締役税理士のT先生を懐柔、続いてA社K社長に耳打ちした。
「現時点では、冬虫夏草10トンはブルーグローブ社のもの。この会社が消滅したら、10トンの冬虫夏草の所有者はいなくなる。その場合に、A社が栽培したとして製薬会社に持ってゆけば買ってくれるはず」
一発勝負なんだから思いっ切りダンピングして交渉すれば、製薬会社としてもよい話しだ、と。
その話にA社長は乗った。
次の仕掛けは、川浪の留守を狙っての役員招集だ。集まった取締役に、T税理士から出金明細を示して「川浪会長が資本金の殆どを食った」と会計報告させれば、誰もがそれを信用する。
そこで「川浪を罷免して、取締役の我々全員が辞任しよう」と提案。さらに「会社に残った資産は売却処分するとして、株主の損害賠償に充てる」と述べたそうだ。
川浪が不正によって罷免され、つづいて残った全取締役が一挙に辞任した場合、川浪は代表取締役ではないから次の取締役会を招集することが出来ない。取締役がいないから取締役会が開かれないとなると、次の代表取締役の指名もできないのだから、実質的に、株式会社ブルーグローブは消滅してしまう。
罷免された川浪を除く全取締役から、宙に浮いた資産の売却について委任状を取りつけておけば、O氏とA社が正々堂々と10トンの冬虫夏草の売却に携わることが出来る。
製薬会社には「株式会社ブルーグローブが消滅したので、栽培者として冬虫夏草をお届けした」と言えば十分に筋が通るし、ドラッグイレブンからはすでに頭金の5000万円を受領しているのだから、全量を収めて残金1億5000万円を集金すればよい。
誰からも文句の言われない、完全犯罪が成立するのである。
恐るべき日本のビジネス・・・
過去、12年にわたって台湾人、中国人と一体となってビジネスに取り組んできたが、このような醜い人間に遭遇したことはない。
まず最初に輸入窓口をすると言ったE社のK社長、そして日本総販売を決めていたN社のO社長、そして冬虫夏草の栽培を委ねたA社のK社長。それに加えて株式会社ブルーグローブの社長に据えたK、取締役税理士のT氏。
日本に帰って取り組んだ人間の殆どが、川浪の感覚とは違っていた。
金太郎飴と言われるように、どこを切っても同じスタイルを貫く川浪に対し、最初は穏やかに語り楽しく酒を酌み交わして友人関係を深めると、次第に周りを己のグループで取り込み、最後に完膚なきまでに背信する。
この巧妙な手法によって、E社には貿易代金4000万円、ブルーグローブの販売金額5億円、さらに冬虫夏草、日本普及のために設立した株式会社ブルーグローブの資産、脚光を浴びる江南エリアに開いた日本事務所を失い、そして最も大きな損失が、日本に来て最初の取引で「汚れた冬虫夏草」という屈辱の汚名を着されたことであった。

日本普及ビジネスの失敗によって、他にも数々の障害が派生していた。
その第一は、大連港の通関にかかる問題である。インボイス(貿易書類)に記載された輸出額とそれに見合う入金額を取りまとめる貿易収支で大赤字が生じており、これを解消しないと新たな輸出ができないという事態となっていた。その額、およそ300万人民元(4500万円)にのぼる。
しかしながら、E社の貿易不払金は裁判で勝ったものの、E社の連帯責任まで問うことが出来なかったため回収の目途が立たない。
株式会社ブルーグローブに輸出してA社に納入した冬虫夏草の菌床代金も、A社らのクーデターにより未だ回収できずにいる。
何とかしなければ、菌床ビジネスも冬虫夏草の日本への普及も全てが潰れてしまう。
川浪にとって、大きな方向返還を決断すべき時が迫っていた。日本に冬虫夏草を持って入った時から貯め込んでいた現金は、完全に底をついていた。
大連事務所も、お気に入りだった虹源大厦を解約して小さなビルに移り、ロバート・オウエンと始めた中国NGO活動も中断して、大連世界貿易中心大厦を解約して職員を解雇。
活発に展開し始めていた菌床ビジネスも、全てをストップせざるを得なかったのである。
それは、あの大地震ですべてを失った台湾と同様に、あのセーフガードで1パックのシイタケも日本に出せなかった中国きのこ村プロジェクトと同様に、日本普及プロジェクトも根底からひっくり返された。
またしてもあの「運命」のなせる業なのか・・・

しかし川浪には、失敗を悔やむ気持ちも神を恨む心も持たなかった。
それは、過去の大どんでん返しと違って大きな夢に向かっていたからであって、もう一つは、どんなに苦しくとも愛情あふれるマイホームが待っているからである。

運命の歯車が好転するThe wheels of fate turn for better

日本の被害は人災だった

冬虫夏草でリベンジが始まった

ミスター・ロバート、お元気ですか?
日本に冬虫夏草を導入して、そろそろ3年目を迎えます。この間、まるで上等の肉塊に群がるハイエナのような多くの野獣が集まってきて、むさぼりつき、骨まで食い散らかして去ってゆきました。私はこの影響で多大な損失を出してしまい、大連港通関からも貿易停止措置をくらうこととなりました。ひとえに、私自身の驕りと読みの甘さが原因だったと深く反省しています。
これによって、事業も方向返還を余儀なくされました。大連人民路の事務所を移転縮小し、さらには、NGO事務所も閉鎖することとなりました。
ともに日本とアジアの環境を整備してゆこうと誓い合ったのに、それを裏切る形となり、まことに申し訳ありません。
ミスターは、上海にてご活躍と伺いました。私も必ず再起を果たして、ワイフを連れて上海に会いに行く所存です。どうぞ、これからもお元気にご活躍ください。川浪

ロバート・オウエンと描いた大きな夢・・
アジアに広がる冬虫夏草、そしてその先に、アメリカを始めとする大きな世界が見えていた。
でも、あれは儚い夢だった。出直しをしなければならない、もう、これより後に下がることはできないのだから。
東京江南エリアの活動拠点は諦めて、福岡に行こう。福岡の自宅に事務所を置くかたちで経費を切り詰め、大連港通関で派生している貿易債務を一日でも早く解消しなければならない。
そして貿易を再開して、前のように、キノコ菌床の普及と冬虫夏草の輸入を実現させないと、せっかく記した足跡が消えてなくなってしまう。

福岡の活動は、ほんちゃんと2人でスタートした。インターネットを公開して、冬虫夏草をPRすることから始めよう。
来る日も来る日も慣れない手つきでパソコンのキーを叩き、ホームページを作っては公開するという日々が続いた。
そして、大連研究室で育てた冬虫夏草を航空小包で福岡まで送らせて、商品スタイルに包装し、インターネットで申し込んでくださる愛用者に配送する。どれもこれも慣れない仕事だったが、情熱の灯はますます大きく燃え盛っていた。
あの当時のこと、インターネットで「冬虫夏草」とか「薬膳」とか検索しても、川浪の公開したサイトがトップページに躍り出て、毎日のように10~20個に及ぶ商品を作っては送付する毎日だった。そのお陰で毎月200~300万円くらいの貿易債務解消を図ることが出来た。
川浪の仕事はそれだけではなかった、薬用蟻から発生する冬虫夏草に加えて、新種改良にも着手した。きっかけは、保険診療をしない日本最大手の医療機関からの問い合わせである。
「蟻の冬虫夏草より、もっと強力な抗癌活性を発揮できる冬虫夏草ができないだろうか?」
もとより、川浪の目的は「癌に打ち勝つ何か」を見つけることにあったのだから、一も二もなく、この誘いに応じて研究を再開した。
薬用蟻を培養に使う前に、何度もトライして失敗していた蛹(サナギ)から発生させる冬虫夏草。
もとより、カイコには驚くべきパワーがある。卵から2ヶ月の間に、何と、その体重が2000倍になるという。しかも、4回も繰り返す脱皮の際には食べないのだから、食べられるときに猛烈に桑葉を食べていることになる。
人間など哺乳動物と比較すると、まことに怖ろしき消化能力と代謝のパワーが備わっているということだ。その根源は、想像を絶する凄いパワーを持つ「酵素」の存在に違いない。
さらに、イモムシからサナギになってわずか数日で、まるで姿形が変わってしまう。サナギに存在する強烈な「酵素」によってイモムシ細胞がアポトーシス(システムに沿った細胞崩壊)し、続いて、タンパク合成酵素が超速正確に、溶けたイモムシ細胞をわずか1週間で、翅のある蛾の形状の細胞に作り替えるシステム。
蛹がもつ天賦のパワーともいうべき「細胞の機序」を冬虫夏草に取り込むことが出来れば、人間がこれを食べることによって癌細胞のアポトーシスが可能となり、その直後に正常細胞が合成されるなら、病態は一気に回復するはずである。
これはあくまでも仮説なのだが、実際に食べてみてアポトーシスが実現すれば、かつて世界の誰もが想像したこともないような、痛みも出血も副作用もなく癌細胞が消えるという超自然療法が実現するのである。
もっと改良しよう、薬用蟻をつかった時の気持ちと同じように、より強いカイコを探し求め、同じようにカイコの成分を生薬などと調合して、冬虫夏草の優良培地を創りあげること。
そして野蚕(ある地方の天然カイコ)を栄養源にした新種の冬虫夏草培養基が完成した。
そして、冬虫夏草のインターネット売上げは好調だった。なかにはペットの冬虫夏草をつくりたいと頼んできて、一人に400万円を売るという日もあった。そのせいもあって、大連通関の停止措置が解消されたのは08年である。
インターネットにおける普及が実っていて、輸入開始早々、一挙に鹿児島で、茨城県で、福島県で冬虫夏草の栽培基地が出来た。
抗癌性の高い冬虫夏草の研究を依頼してきた医療機関には、新たな野蚕の冬虫夏草を発芽させて、1キロほど送った。
結果は上々だったという。
医療機関は驚いて「1億円分注文したい」と申し出てくれて、700kgの新種冬虫夏草を提供している。さらに、製薬会社研究室で行った「肝臓癌細胞増殖阻害試験」では、以下のように驚異的な測定値をはじき出している。
肝臓癌細胞群に冬虫夏草溶液を投与(下左)して、2日後には何と85%もの癌細胞が消えている(下右)という結果がでたのだ。

肝臓癌細胞が消えたということを考えてみた。
右写真を精査してみたが、癌細胞が破壊されたのなら多くの細胞断片が有るだろうし、癌細胞が潰されたのなら細胞壁の残渣とプロテアーゼ(細胞内たんぱく質)が確認されるだろう。が、この写真では、とても綺麗に消えているように見える。
ということは、アポトーシスが不能になった癌細胞がアポトーシスしたことになる。
次に、他方の冬虫夏草の能力を調べてみた。
下のグラフは、上述した医療機関が提供してくれた比較表である。左データ(赤線)が私方の冬虫夏草で、右データは中国産出の冬虫夏草だと思われる。この2例の冬虫夏草を同一条件下で人間の肺癌細胞に投与し、その変化を比較したものである。
私方のものは(赤線)は3日後には95%以上が消滅したが、他方のものはほぼ消滅していない。明らかに、私方の冬虫夏草が優れているという結果を示している。

私方の冬虫夏草を実際に食べた方から、続々とデータ(参照)が寄せられた。下枠内には、C型肝炎・肝臓癌を患った女性の癌細胞が3ヶ月後に消えたという闘病の記録が寄せられている。これだけパワーが上がれば大丈夫だ。今や、癌にリベンジするための用意が整った。
本人申告記録:切除して残った肝臓に癌が現れた
日本で栽培が始まって今年で足掛け19年になる。この間、冬虫夏草150万菌床を日本に導入して全国に普及させるなど、豊富な経験と実績は業界でも突出している。
それに、あれほど壊れていた身体も、冬虫夏草サプリメントを毎日のように食べるせいなのか、どこも悪くなかった。
川浪には、絶体にやらなければならない責務がある。その1つが、何故に冬虫夏草が凄いのかという科学的解明である。これを知るには、癌を研究して人体のメカニズムを知ることが必要となる。
あの大連の凍てつく階段で昏倒して以来、冬虫夏草の培養に苦心していた折りに、痛む身体をさすりながら何度もチャレンジした漢方医学。
太古の医学書「黄帝内経」を紐どこうとして中文簡体字と睨めっこをしたものの、巨壁が立ちはだかる思いがして断念。
そして冬虫夏草の普及が日本で始まった2004年、2005年と、立てつづけに事件に遭遇し数億円規模の未回収金が発生して、自社貿易を断念しなければならない羽目に。
新婚早々のことである。
でも川浪にはやるべきことがあった。漢方医の家系である大学生のほんちゃんとも日々20時間近く、身体の仕組みについて研究し話し合った。そしていわば二人三脚で、独自の医学を完成させたといってよい。

その理論は「食事と腸内細菌を基本に考えれば、身体の全てが見えてくる」というシンプルなものである。癌は食事が悪化(食品添加物・好き嫌い)して腸内細菌が衰退することから発症する、という考えが基本になる。
そして義務の第2が、後継者の育成。
「子供が22才になるまでは絶体に元気でいる。子供たちが立派に後継者となってくれるまでは、もちろん現役で、高みを目指して向上し続けねばならない」と。
これを実現させるには、己が開いた療法を己自身および多くの人に教え、伝えて、習慣づける必要がある。

「癌に打ち勝つ何かを見つける」という父親との誓いから20年が過ぎた今日、ようやく、癌に対するリベンジが始まった。
冬虫夏草が有する強力なパワーなのか、それとも、癌に楽しみを奪われた父親の執念が強い糸となって川浪の運命を操り、そして多くの癌患者を救おうとしているのかもしれない。
まさしく、日本から、そして世界から、癌を追放する運動を始めなければならない。これをしないと、やがて人類は、癌に負けて滅亡するかもしれないのだ。

これと同時にスタートしたのが「食事革命」である。これは、川浪が主宰して創設したフードイノベイション協会が推進するビッグ・プロジェクトである。
冬虫夏草の先端胞子部分を「抗癌剤が使えない、手術ができない」と悲しむ患者を対象に無料供給するというもの。総額5000万円におよぶ大規模キャンペーンを実施した。
必ずや癌にリベンジする。
川浪は固い決意を胸に、毎日を邁進する。
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肺胞のウイルスを除去する酵素